寅さん!

寅さんが愛したマドンナは今どうしてる/若尾文子/長山藍子/

国民的映画と言われ、ひとりの俳優が演じた最も長い映画シリーズとしてギネスブックにも登録された。

この長寿シリーズでは、日本を代表する女優がマドンナとして登場❣

今回は、若尾文子さん、長山藍子さんの若い頃から・・現在を追ってみた・・

若尾文子さん 第6作/ 純情篇/ 夫と別居してとらやの2階に間借りする美人の人妻..夕子を演じる

寅さんは、とにかく人妻に弱い・・もちろん美人が絶対条件^^その色っぽさは若尾文子さんが抜きん出ている。後に2代目おじちゃんになる「スケベ医者」も登場!🤣

東京都荒川区のご出身・・

本名は、黒川文子

学歴は、
宮城県第二女子高等学校中退

趣味は、
読書、美術品観賞、映画観賞、茶道、ドライブ

特技は、英会話だそうです。


アメリカ映画に魅了される

若尾さんは、子どもの頃、身体が弱く、読書ばかりしていたそうだ。

アメリカ映画が日本に輸入されると、スクリーンに映る、まるで夢のような世界にすっかり魅了されてしまった。

学校では、「絶対に観てはいけない」と言われていたにもかかわらず、お父さんについて行って映画館に行き、映画を観ていたそうで、

若尾さんは、後に、

まさか自分が映画に出るなんて思いもよりませんでした

と語っている。

「大映」の第5期ニューフェイスとして

若尾さんのお姉さんのご主人が「大映のニューフェイス」の募集を見て、若尾さんの写真を勝手に送って応募されたそうで、若尾さんは見事合格し、1951年、「第5期ニューフェイス」として、「大映」に入社。

その頃の初々しい写真を一枚・・📸

1953年、映画「十代の性典」に出演されると、映画は大ヒットを記録し、若尾さんは、たちまち人気を博し、同年の映画『祇園囃子』では溝口健二監督に起用され、女優としての実力を発揮し、性典女優の汚名を返上し、熱演が高く評価された。

以降、可憐でありながら強烈な情念と内に秘めた激しい気性を表現する演技から、日本映画を代表する正統派美人女優の一人となり、京マチ子、山本富士子と並ぶ大映の看板女優と謳われ、260本以上の映画に主演した。和服姿の艶やかな美貌から、未だに海外での人気が高い。 入社2年目にして、たちまち「大映」の看板女優に。

若尾文子さんと言えば、和服が似合うイメージが強いが・・📸

1971年、「大映」倒産・・

ちょうどその年の1月に、『男はつらいよ  純情篇』に出演。

その後は、完全に映画を離れてテレビドラマに活動の場を移す。

ソフトバンクのCMでで再ブレイク

若尾さんは、2010年、ソフトバンクのCMで、白戸(ホワイト)家のおばあちゃん、つまり、お父さん犬・白戸次郎の母親である、白戸文子を演じられると、たちまち、若い世代の女性たちの間にも知名度が浸透し、再ブレイク。「あやや」の愛称で親しまれた。

ソフトバンクのCM..現在は、「男はつらいよ 恋愛塾」にも出演している・・樋口可南子さんが白戸次郎の妻役で出演してますね^^

 

結婚歴は2度で、

再婚した..日本を代表する建築家の一人「黒川紀章」氏と死別。

2015年には半世紀ぶりに映画の舞台挨拶にも登場。

昔と変わらず演技はとても素晴らしく、立っているだけでオーラがでているようだと話題になった。

現在は・・

私生活では..同じ時代を生きた女性たちで、テレビプロデューサーで演出家の石井ふく子さん、そして舞台を中心に活躍した女優の奈良岡朋子さんの2人と同じ都内のマンションで仲良く住んでいる友達だとか。

90歳近いのに..未だに芸能界引退のニュースはなく、現役の女優ということかもしれない。

 

長山藍子さん 第5作/望郷篇/ 寅さんが地道な労働者になろうと働いてる豆腐屋のひとり娘・節子を演じる。 もちろん寅さんが..ひと目惚れしないわけがない・・

この「第5作/望郷篇」では、テレビシリーズのレギュラー陣が勢ぞろいしていて、
長山藍子さんはテレビ版のさくら役だった。映画シリーズのさくら(倍賞千恵子さん)と
違い、すこしおっちょこちょいだが愛すべき妹を演じている。

テレビ版では、最後にハブに嚙まれて死んでしまう寅次郎・・テレビ局には抗議の電話が殺到したのは有名な話だが、長山藍子さんは最終回のリハーサルのとき「どうして死んじゃうの」と泣いて抗議したエピソードがある。当時27歳だった...

 

長山さんは、1941年6月21日生まれ、
中国内蒙古自治区フフホト市生まれ(静岡県三島市育ち)

出身高校は、
成蹊小学校・中学校
⇒静岡県立三島北高等学校卒業

趣味は、
読書、音楽観賞、陶磁器・骨董品収集、家庭菜園、山菜採り、写真、旅行

「長山藍子」は本名だが、結婚後は、「武正藍子(たけまさ あいこ)」となる。

 

父親の就任地である中国内モンゴル・フフホトで誕生

新聞記者(同盟通信社)だったお父さんと雑誌(日本評論)の記者だったお母さんのもと、お父さんの赴任地だった中国内モンゴル・フフホトで誕生すると、幼少期を、東北部の新京(現在の長春)で過ごした。

4歳の時には現地で終戦を迎え、命からがら帰国して、東京に住む。

芝居が好きだったお父さんの影響で、女優を目指すようになる

小学4年生の時には、成蹊学園(小~大学まで一貫校)を受験すると、見事合格。この頃すでに女優を目指されていたようで..成蹊学園では、演劇部に入部。

中学2年生の時、お父さんが45歳という若さで突然他界。

成蹊学園時代の恩賜の勧めで「俳優座」の俳優養成座へ

高校卒業後に「俳優座」の俳優養成所に合格し12期生として入所。

俳優養成所を卒業後は、石井ふく子さんのプロデュース作品に多く出演する

東芝日曜劇場「女と味噌汁」で人気を博し、このドラマで共演された池内淳子さんと山岡久乃さんとは、プライベートでもとても仲が良かった・・池内淳子さんは、男はつらいよ第8作 「寅次郎恋歌」にマドンナ役で出演してますね。

親友である池内さん、山岡さんの最期のときは、親族とともに看取られ絆の深さが伺える。

1990年から2011年まで、石井ふく子さんプロデュースのテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で岡倉家の5人姉妹の長女・野田弥生役を演じられると、お茶の間に広く知られることになる。

現在は・・

『渡る世間は鬼ばかり』終了後のスペシャル版には必ず出演、コロナ等もあり最後のスペシャル版が2019年ですがその際も出演され、2020年以降はコロナの関係等で撮影自体が減ってしまったのもあるかもしれませんね。

長山藍子さんは56歳の時に16歳年下の武正忠明さんとご結婚しています。武正さんも俳優で舞台『華やかな女』で共演しており、その後縁あってお付き合いをするようになったそうです。

結婚した年齢もあり、子供はいません。

80代という高齢ではありますので公の場でお見かけする機会は今後も少ないかもしれませんが、ご結婚されて現在も旦那さんと仲睦まじく生活をしていることでしょう。

 





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