寅さん!

とらやの茶の間は..何故こんなに温まるんだろう

渥美清さんが没後、国民栄誉賞を受賞したときにテレビのワイドショーで、ある著名人がこの映画自体にも国民栄誉賞を授与してもいいと言ってたのをよく覚えている。

その理由は地方から出て来た労働者が盆、正月に帰れずにこのシリーズにどれだけなぐさめられたのか・・というものだった。おそらく寅さんの旅先で描かれている高羽哲夫カメラマンの美しい風景と、このお茶の間のシーンにたまらない郷愁を感じたんではないだろうか..


昭和の家族、となり近所は密だった..

 

「向こう三軒両隣」という言葉がある。現代では隣の家とも遮断されているが柴又界隈の人達はどうだろう。

これなんか、コミカル的要素を前面に追し出していて笑っちゃうんだけど、近所の連帯感を感じるね。何か事件が起きるとこの人達は結束する。もちろん、野次馬的な面もあるけどお見舞いなども持ってくる。

 

とらやのお茶の間は開けっぴろげ

とらやのお茶の間は開放的で中から参道が見えるし、その逆もある。おそらく上の画像はこの後に起こるメロン騒動が参道を歩く通行人からも見えたんではないだろうか。下の画像はすみれが定時制の高校の合格を祝って江差追分を歌う賑やかなシーン。

現代では家庭的なお店という表現があるが、これはお店の内装や店員の接客の雰囲気を言うもので、とらやの場合はお茶の間にいる家族と店の営業が一体化している・・

こんな開放された家庭が、今の閉鎖的なな世の中にあるとは思わない。店にお客が入っているときでも、とらやの家族は全くブレない。普通だったら家庭の内部は見られたくないし、お客からも好んで見たいとも思わないだろう。「見たり」「見られたり」の関係に現代人はなじまない。

しかし、昭和の時代、家族のぬくもりのあるなしにかかわらず確かにそういう店があった。

 

お茶の間に上がったら全員家族❣

 

これは寅さんがまだ振られてないことが前提だが、

「マドンナ🧚🏻‍♀️」がいる時は和みマックス状態に!

マドンナと共有した旅先での楽しい思い出ばなし、

寅さんは幸せ一杯なので冗談も冴えまくって連発する!

茶の間にいる全員が幸せに満ちた笑顔、笑い声がお茶の間に溢れだす。

マドンナも日常生活ではこんなに人と打ち解けたこともないし、家族の一員になったようにお互いの距離がグッと縮まる。

例えば・・第14作「寅次郎子守歌」ではマドンナ京子(十朱幸代)が団らんのお茶の間から帰る時、

「久しぶりに田舎に帰ったみたい」とさくらに嬉しそうに話している^^

それが画面に溢れてるんだよねえ。

一方で第19作「寅次郎と殿様」でマドンナを演じた真野響子さんは、インタビューでこう言っている。

とらや一家を演じた俳優さんたちは、互いにプライベートな付き合いもなく、撮影の時だけ大船撮影所に集まった。それでもすぐにお互いの息が合い、まるで家族のようだった。

 

 

シリーズで一貫しているお茶の間シーンの撮影手法🎬

お茶の間のシーンは山田監督がアップを多用せず、自然体の家族の様子をリアルに映す撮影方法でこれを観ていると我々は実際にその場にいるような錯覚を覚える。つまり臨場感があって一緒に笑ったり怒ったりする。

 

喧嘩は派手だが・・あとくされがない

 

取っ組み合い

兄さん!プロレスのサミングは反則ですよ!

という博の声が聞こえてきそうだが、

一晩,,経てばふたりとも何事もなかったようにケロッとしてる。

 

喧嘩を通じてあるべき家族の姿をとらやは見せてくれる。
たとえ口論していても、とらやは家族として機能している。
口角泡を飛ばしながらみんなが生き生きしてくる。
家族のぬくもりがおのずと説明抜きに画面から見てとれる。

今の時代に喧嘩を本気でできる家族はほとんどない。
しかも微笑ましい。この雑然さ、そこに流れる身内への思いやりの心・・

              📖「山田洋次と寅さんの世界」より

私も反抗期の頃、親父と取っ組み合いの喧嘩をしたことがあったが、それほど強い力でもみ合ったわけでもないが親父がよろけて膝まづいてしまったことを憶えている。哀しさもあったが親子の情愛が深まりましたね・・

 


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