昭和世代の映画雑学

渥美さんに逢いたい気持ち、今も・・

あの小さな目で世の中のことをよく見ていた人でした。
渥美さんに逢いたい気持ち、今も・・

あなたの出逢いこそ、
人生のかけがえのない宝物。
終生の友情を交わしあえたしあわせ。
今、もう一度、あなたに逢いたくて。

NHK 日曜夜8時
夢であいましょう

このころのテレビはまだビデオ録画がなかったので、ぶっつけ本番で生放送で演技をこなせる芸人を数多く必要としていた。
この求めに応じて、舞台で場数を踏んだコメディアンが浅草の軽演劇世界などからテレビ界へと流れこんできた。

浅草軽演劇出身からすれば、黒柳徹子と出ていたテレビドラマの世界は、もう本当に目の眩むようなところだった。

徹子の部屋 渥美清

放送が始まってすぐの頃には出てくれそうな気配もあったんだけれど、
「みなさん、お話がお上手じゃないですか。ぼくの話なんて、面白くなんかないですから。他の方の話を聞いてください」って。「そう言わずに、あなた友達なんだからとにかく出てよ!」と言ったけど、最後までひとりでは出ませんでしたね。
やっぱりね、寅さんを演じるようになって、そのイメージでみんなに見られると、「普通に話しているのでは、、
寅さんと違って面白くないな」なんて言われると思ったのかもしれないのが理由だと思うの(黒柳徹子)

ところがやっぱり寅さんだった(笑)

山田監督は渥美さんが話していると、その情景がありありと浮かんで来ると言っている。

カラス天狗と呼ばれた、あだ名をつけるのが上手でした

初めて会ったのは、東京・内幸町にあったNHKのスタジオだった。
渥美の目の鋭さが山の手育ちの黒柳には怖かった。
「なんだ、このあま」「ヤダ、ヤダ、この手の女はイヤだ」と言われたこともある。

『ニンニク喰って、高く飛べよ。カラス天狗』・・なんて言ってましたね。

でも向こうは向こうで、今まで自分が付き合ってきた浅草のストリッパーと違って警戒していたのではないでしょうか。

異常に身構えた喧嘩犬のよう
だった・・

浅草から来た人と聞いて、気をつけなくちゃ、怖いかも知れないと思いました。遠くの方からこっちを狙っているみたいな油断できない「喧嘩犬」みたいな感じでした。
でもすぐにわかりました。あの人の中には非常に高貴なものがある。品格があると・・

次第に気が合うようになり・・


「お嬢さん」「兄ちゃん」とお互いに呼ぶようになり、いつも一緒なので『うわさのカップル』と週刊誌に騒がれたときもありました。ですが私は当時NKKに所属していたのでちゃんとした写真があったのですが、渥美さんは「夢であいましょう」に出たときに撮影したチンドン屋の恰好で雑誌に掲載されたのです。

「俺はいつもこんな格好はしていない」と怒っていましたね(笑)

1969年 正子夫人と結婚

        ー【出典】週刊朝日MOOK・週刊現代ー

正月は二人で一緒に寅さん映画を何回も見ました

出典『渥美清に逢いたい 山田洋次 黒柳徹子より』

そして・・私がどんな場所で笑うのか知りたかったんでしょうね。
「馬鹿だねえ」と言ってとても楽しそうでした。

黒柳さんは最後のマドンナに
取っておきたいんですよ・・

山田監督にそう伝えられたという。

48作以降の構想はあった。高知を舞台にした49作『寅次郎花へんろ』は、傷心の女性がお遍路の旅に出て寅次郎に出会うという物語だったが、製作中止。
そして、50作目のマドンナには黒柳徹子という話もあったが、これも幻となった。

 

山田監督が
寅さんだったらどんな最期を迎えただろう
作家の遠藤周作と対談したとき
幼稚園の用務員はどうだろうという話に・・

幼児らとかくれんぼしているうちにポックリ!
町の人が寅地蔵を建てることになり御利益は『縁結び』となる

このとき、先生役は黒柳徹子さんも候補に挙がったとか、、

 

2か月近く音信不通のときが
ありました・・

「どうして連絡くれなかったの。秘密主義者。女の人を連れて温泉に行ってたんでしょう」と私が何度も同じことを聞くと、渥美さんは目に涙をいっぱいためて帽子を脱いで、笑いながら「お嬢さん、本当に馬鹿ですね。温泉になんか行っていません」と言いました。

後で分かったのですが、がんの治療のため入退院を繰り返していたのです。

亡くなる数日前、留守番電話がありました。

「お嬢さんはお元気ですね。僕はもう駄目です。お嬢さん、元気でいてください」と。

あの人、しよっちゅう死ぬ、死ぬと言ってましたし、若かったときの結核手術で肺が一つ足りなく体が丈夫でないことも知ってましたが、本当になくなるとは思いませんでした。

あの小さな目で世の中のことをよく見ていた人でした。ご自身の病気もあり、寅さんをいつまで続けたらいいのか悩んでいたと思います。でも「寅さんをやめると自分から言い出さなかった。兄ちゃんは寅さんが大好きだった。みんなに笑ってもらうのが大好きだったんです」

週刊朝日 MOOK 『面影の渥美さんより』



『渥美清に逢いたい 山田洋次 黒柳徹子』に掲載。

渥美さんと徹子さんの物語を聞くうちに。徹子さんをマドンナにした脚本を書くことにしてみた。
『男はつらいよ』の最終回のマドンナは黒柳徹子だと、いつもどこかで夢想していたのだけれど、脚本として書き下ろすのは初めてのことだ。
渥美さん、本ができたよ。なかなかいいだろう?
ー山田洋次 巻頭の言葉抜粋ー

えっ、マドンナの黒柳さんがシスター役で登場❣

巻末に幻の最新作
『男はつらいよ
寅次郎福音篇』
書き下ろしを収録❣


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正子夫人との微笑ましいエピソードは55ページから


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