1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される。グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、首席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。
松竹歌劇団(SKD)グランドレビュー「東京踊り」初代バトンガールになった倍賞さん(1960) pic.twitter.com/6muZvNSbB2
— 倍賞千恵子 写真館 (@fan_chieko) May 11, 2018
1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演[1]して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている
見どころ
下町の太陽 1963年
ヒット歌謡曲の映画化。
山田監督と女優・倍賞千恵子との記念すべき出会いとなった作品。
倍賞千恵子の初主演、監督は山田監督。
舞台が荒川沿いの下町..
出世を目指す恋人との婚約を解消して
鉄工所で汗を流して働く青年に心惹かれる
お見合いをした社長の御曹司ではなく
小さな印刷工場で地道に働く..
博との結婚を選ぶさくらに通じる。
この映画をきっかけに『庶民派女優』『庶民派スター』と呼ばれるようになる。
下町の太陽
倍賞千恵子さん、いい声で大好きです。 pic.twitter.com/ARVelzzhJx
— 白鳳(ハクホウ) (@hakuho89) October 1, 2023
私が当時住んでいた滝野川からはガスタンクが遠くに見えて、路地に入って行くと小さなガラス工場がありました。映画そのまま。だから作品世界に自然に入っていくことができて、撮影が始まったときも、自分が暮らしていた下町の一角で仕事をしているような気分でした。
(著書:「倍賞千恵子の現場」より)
霧の旗 1965年
松本清張原作のサスペンス映画。
復讐に執念を燃やすヒロインを描く異色作。
山田監督の脚本の師匠に当たる橋本忍の脚色。常に自作の脚本を執筆している山田監督に
とって、完全に他人が書いた脚本を監督した唯一の作品。
山田監督作品では唯一のサスペンス映画で、ヒロインの暗い情念を追っている点でも異色。
冷酷な主人公に並々ならぬ決意で挑んだ女優、倍賞千恵子の完璧な演技と美しさが見どころ。
運がよけりゃ 1966年
山田洋次監督が古典落語に挑戦した
初めての時代劇にして意欲作。
山田洋次が愛してやまない古典落語の世界に材を探った山田作品初の時代劇。落語「突き落とし」「らくだ」「寝床」「黄金餅」「妾馬」「さんま火事」よ、その他いくつかの江戸小咄から脚本化する。
この後コンビ作品が次々と生まれるハナ肇と倍賞千恵子が山田作品では初めての顔合わせ。大船撮影所のオープンセットに大江八百八町を再現した。
愛の讃歌 1967年
M・パニョルの「ファニー」を翻案したラブストーリー
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主演は『宴』で本格的にデビューした直後の中山仁と倍賞千恵子で初々しく、伴順三郎、
有島一郎、千秋実など芸達者なベテランが脇を固めて見応えある演技合戦を展開している。
喜劇 一発勝負 1967年
ハナ肇主演、『馬鹿』に続く一発シリーズ。
共演の倍賞千恵子はハナ肇の妹役という設定で、その「愚兄賢妹」は『男はつらいよ』の寅とさくらに引き継がれていく。
家族 1970年
長崎から北海道まで
日本縦断の旅をする一家。
山田監督の代表作のひとつ。
長崎県の小さな島から北海道の開拓村まで、旅をする一家の物語。旅の背景に、当時の日本の社会状況が浮かび上がる。長回しでのドキュメンタリータッチの撮影、俳優には即興的に台詞を言わせることを試みるなど、それまでの作品にはない手法に挑戦した。
クレイジーキャッツの面々も実名の存在として出演、子供とのやり取りが微笑ましい。
キネマ旬報ベスト・テン一位ほか各種映画賞を多数受賞した山田監督の代表作のひとつ。
故郷 1972年
瀬戸内海の島に暮らす家族が故郷を捨てて出て行く。
山田監督が『家族』に続いて日本を鋭くとらえる。
家族に引き続いて即興的な演出も試みた。実際の労働者に混じって俳優が働くところをカメラに収めるなど、セミ・ドキュメンタリー的な手法を使った演出も試みた。
『家族』に引き続いで夫婦役で倍賞千恵子、井川比佐志のコンビが起用され、二人の役名も同じである。
同胞 1975年
『家族』『故郷』に続く三部作。
過疎の村での劇団公演を描いた青春讃歌。
岩手県の農村を舞台に、劇団の公演を計画する青年会の活動を描く青春映画。物語は現地に実際に起きた出来事を基にしており、モデルとなった統一劇場の団員が公演シーンを演じている。
美しい自然や故郷の素晴らしさを描いた山田監督は『男はつらいよ』シリーズでは表現しえない自身のテーマを深く掘り下げた。
幸福の黄色いハンカチ
1977年
高倉健との顔合わせが実現。
各賞を独占した感動作。
a
健さんの第一印象は..
スーパースターのオーラというか
これまで会ったことのない人に
出会ったという感じでした特に印象が強かったのは その眼力です
私はずっと目のちっちゃな お兄ちゃんと
仕事をしていましたから..🤠自著/倍賞千恵子の現場より pic.twitter.com/MACbNjx5da
— しなふく📡「昭和」エンタメなニュース発信局 (@sinafukudoa) August 21, 2022
日本映画を代表する大スター高倉健と、山田監督との初顔合わせ。若いカップルを演じた武田鉄矢、桃井かおりと、高倉健とのやりとりは絶妙。
喜劇的な前半から一転して、後半、黄色いハンカチが本当にあるかをサスペンスとして見せるなど、山田監督の手腕は見事。
第1回日本アカデミー賞で作品賞、キネマ旬報ベスト・ワンなど、各賞を独占した。
遥かなる山の呼び声
1980年
高倉健とのコンビ第二作。
静かな大人の愛を描く。
北海道の釧路原野の真っただ中の酪農の町、中津川。牧場で暮らす母と子の前に姿を現した男が、母の心に愛の灯を灯し、少年の心に男としてのたくましさと優しさを刻み込み初秋とともに去っていく。
『シェーン』を基にした作品で、高倉健という存在がドラマチックな要素を生み出したといえる。
東大法学部を卒業し、松竹に入社。監督デビューする以前はコメディ・サスペンス・青春ものなど数々の脚本を書く。
監督になり、さまざまなジャンルに挑戦、昭和30年代という時代の空気を映像に定着させる。
ハナ肇との連作が人気を呼ぶ。