角刈りっつったら永さん!
と思ってたけど…
渥美さんの角刈りハンパないわ。徹子がまだビフォー玉ねぎヘアーなのも
なんか初々しくていい。みんな仲良しな感じにホッコリ。(*´ω`*)
おはようございます。#渥美清 #黒柳徹子 #永六輔 pic.twitter.com/jybjGPhunl
— ベル (@111_co) June 15, 2021
【男はつらいよ】 寅次郎
徹子の部屋
渥美清と倍賞千恵子と黒柳徹子
役を演じていない時の 役者 渥美清さんなんだけど。。車寅次郎にしかみえない pic.twitter.com/42ZI0kODLQ
— 🌏パルナスロデム🌏 (@fxftsgx2017sgx) June 9, 2018
山田監督は渥美さんが話していると、その情景がありありと浮かんで来ると言っている。
見どころ
カラス天狗と呼ばれた、あだ名をつけるのが上手でした
初めて会ったのは、東京・内幸町にあったNHKのスタジオだった。
渥美の目の鋭さが山の手育ちの黒柳には怖かった。
「なんだ、このあま」「ヤダ、ヤダ、この手の女はイヤだ」と言われたこともある。
『ニンニク喰って、高く飛べよ。カラス天狗』・・なんて言ってましたね。
でも向こうは向こうで、今まで自分が付き合ってきた浅草のストリッパーと違って警戒していたのではないでしょうか。
異常に身構えた喧嘩犬のようだった・・
浅草から来た人と聞いて、気をつけなくちゃ、怖いかも知れないと思いました。遠くの方からこっちを狙っているみたいな油断できない「喧嘩犬」みたいな感じでした。
でもすぐにわかりました。あの人の中には非常に高貴なものがある。品格があると・・
次第に気が合うようになり・・
「お嬢さん」「お兄ちゃん」とお互いに呼ぶようになり、いつも一緒なので『うわさのカップル』と週刊誌に騒がれたときもありました。ですが私は当時NKKに所属していたのでちゃんとした写真があったのですが、渥美さんは「夢であいましょう」に出たときに撮影したチンドン屋の恰好で雑誌に掲載されたのです。
「俺はいつもこんな格好はしていない」と怒っていましたね。
正月は二人で一緒に寅さん映画を何回も見ました
渥美清さんと一番仲が良かった女性💟
二人でよく新宿に映画を観に行った
映画はいつも決まって
「男はつらいよ」だった🤠観客が笑うと🤣🤣🤣
渥美さんも笑って観ていたそうだ…#黒柳徹子#渥美清 pic.twitter.com/5LhNHhYqve— しなふく📡「昭和」エンタメなニュース発信局 (@sinafukudoa) August 28, 2022
そして・・私がどんな場所で笑うのか知りたかったんでしょうね。
「馬鹿だねえ」と言ってとても楽しそうでした。
黒柳さんは最後のマドンナに取っておきたいんですよ・・
山田監督にそう伝えられたという。
そして、50作目のマドンナには黒柳徹子という話もあったが、これも幻となった。
山田監督が
寅さんだったらどんな最期を迎えただろう
作家の遠藤周作と対談したとき
幼稚園の用務員はどうだろうという話に・・
幼児らとかくれんぼしているうちにポックリ!
町の人が寅地蔵を建てることになり御利益は『縁結び』となる
先生役は黒柳徹子さんだったとか、、
2か月近く音信不通のときがありました・・
「どうして連絡くれなかったの。秘密主義者。女の人を連れて温泉に行ってたんでしょう」と私が何度も同じことを聞くと、渥美さんは目に涙をいっぱいためて帽子を脱いで、笑いながら「お嬢さん、本当に馬鹿ですね。温泉になんか行っていません」と言いました。
後で分かったのですが、がんの治療のため入退院を繰り返していたのです。
亡くなる数日前、留守番電話がありました。
「お嬢さんはお元気ですね。僕はもう駄目です。お嬢さん、元気でいてください」と。
あの人、しよっちゅう死ぬ、死ぬと言ってましたし、若かったときの結核手術で肺が一つ足りなく体が丈夫でないことも知ってましたが、本当になくなるとは思いませんでした。
週刊朝日 MOOK 『面影の渥美さんより』
伝説のバラエティー番組 『夢であいましょう』
黒柳徹子さん、渥美清さん、二人ともお若い^^