寅さん!

渥美清さんは天才的な話術の持ち主だった..

山田監督は渥美さんが話していると、その情景がありありと浮かんで来ると言っている。

カラス天狗と呼ばれた、あだ名をつけるのが上手でした

初めて会ったのは、東京・内幸町にあったNHKのスタジオだった。
渥美の目の鋭さが山の手育ちの黒柳には怖かった。
「なんだ、このあま」「ヤダ、ヤダ、この手の女はイヤだ」と言われたこともある。

『ニンニク喰って、高く飛べよ。カラス天狗』・・なんて言ってましたね。

でも向こうは向こうで、今まで自分が付き合ってきた浅草のストリッパーと違って警戒していたのではないでしょうか。

異常に身構えた喧嘩犬のようだった・・

浅草から来た人と聞いて、気をつけなくちゃ、怖いかも知れないと思いました。遠くの方からこっちを狙っているみたいな油断できない「喧嘩犬」みたいな感じでした。
でもすぐにわかりました。あの人の中には非常に高貴なものがある。品格があると・・

次第に気が合うようになり・・

「お嬢さん」「お兄ちゃん」とお互いに呼ぶようになり、いつも一緒なので『うわさのカップル』と週刊誌に騒がれたときもありました。ですが私は当時NKKに所属していたのでちゃんとした写真があったのですが、渥美さんは「夢であいましょう」に出たときに撮影したチンドン屋の恰好で雑誌に掲載されたのです。

「俺はいつもこんな格好はしていない」と怒っていましたね。

正月は二人で一緒に寅さん映画を何回も見ました

 

そして・・私がどんな場所で笑うのか知りたかったんでしょうね。
「馬鹿だねえ」と言ってとても楽しそうでした。

黒柳さんは最後のマドンナに取っておきたいんですよ・・

山田監督にそう伝えられたという。

48作以降の構想はあった。高知を舞台にした49作『寅次郎花へんろ』は、傷心の女性がお遍路の旅に出て寅次郎に出会うという物語だったが、製作中止。
そして、50作目のマドンナには黒柳徹子という話もあったが、これも幻となった。

 

山田監督が
寅さんだったらどんな最期を迎えただろう
作家の遠藤周作と対談したとき
幼稚園の用務員はどうだろうという話に・・

幼児らとかくれんぼしているうちにポックリ!
町の人が寅地蔵を建てることになり御利益は『縁結び』となる

先生役は黒柳徹子さんだったとか、、

 

2か月近く音信不通のときがありました・・

「どうして連絡くれなかったの。秘密主義者。女の人を連れて温泉に行ってたんでしょう」と私が何度も同じことを聞くと、渥美さんは目に涙をいっぱいためて帽子を脱いで、笑いながら「お嬢さん、本当に馬鹿ですね。温泉になんか行っていません」と言いました。

後で分かったのですが、がんの治療のため入退院を繰り返していたのです。

亡くなる数日前、留守番電話がありました。

「お嬢さんはお元気ですね。僕はもう駄目です。お嬢さん、元気でいてください」と。

あの人、しよっちゅう死ぬ、死ぬと言ってましたし、若かったときの結核手術で肺が一つ足りなく体が丈夫でないことも知ってましたが、本当になくなるとは思いませんでした。

あの小さな目で世の中のことをよく見ていた人でした。ご自身の病気もあり、寅さんをいつまで続けたらいいのか悩んでいたと思います。でも「寅さんをやめると自分から言い出さなかった。お兄ちゃんは寅さんが大好きだった。みんなに笑ってもらうのが大好きだったんです」

週刊朝日 MOOK 『面影の渥美さんより』



伝説のバラエティー番組 『夢であいましょう』

黒柳徹子さん、渥美清さん、二人ともお若い^^


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