昭和世代の囁き録

蔵王スキーロッジの思い出...

当時、都内飲食店チェーンに勤務していた会社から、蔵王のスキーロッジで新規オープンのレストランでワンシーズンだけ働らかないかと声をかけられた。
あまり気乗りしなかったが、結局、働いた。

気乗りしなかった理由は幾つかあるんだけど、まずアルコールを扱う遅番の勤務シフトだったこともあり朝が苦手、そしてまだ若かったので都会の喧騒や「ネオン」が大好き(笑い)。

地元からはコックが一人、ホール接客担当の男性が一人と施設の清掃や諸々の雑用をしてくれる年配の男性だった。東京からは新規オープンに関しての責任者、管理人夫婦、和食専門の調理人、そして私とアルバイトで応募した学生でしたね。

11月に現地に行っていろいろと準備を進めたが、この年は雪が少なくて12月に入っても宿泊のお客さんが少なくてスキーロッジ館内の掃除ばかりしていた。案の定、ホームシックにかかってしまった。

ところが、シーズンが終わりに近づいて、2シーズン目を志願する真逆の展開になったんだよねえ🤣

その理由は^^

ようやく雪が降り出して積り出したのは、12月半ば過ぎだった。宿泊客で賑わい、ようやく活気を帯びてきた。

自分は地元のコックと相部屋になる予定だったが、その人イビキが凄い(笑)ということで東京で募集したアルバイトの学生と一緒の相部屋にしてもらった。これがラッキーだったんだよね。

割り当てられた部屋は、食材のストックがしてある倉庫がわりの通路が隣接してあった。

ロッジ運営も軌道に乗り、我々も業務に馴れてきて新規オープンに関しての責任者は東京に帰って行った。

東京に本社がある会社だったこともあって管理が遠隔操作で緩くなり、ロッジの管理としては初心者の支配人はここに永住するつもりで東京からやって来た老夫婦だったこともあり、我々の業務には寛大で細かいことは一切言わなかった。

この後の展開は長くなるので、後日また話すよ~

もうとっくに時効だから話しちゃうけど、自分とアルバイト学生の部屋の窓の隣は山の斜面に作られた長い通路(もちろん屋根はある)は自然の冷蔵庫で、飲み物や食材がストックされていた。その中にビールなどの酒類や様々な乾物類もあって、もうお分かりだと思うが仕事が終わって入浴後にささやか祝宴(何のこっちゃ)をあげていた。そのアルバイトの学生は私に絶対服従(笑)...「ちょっとビールと何かつまみ持ってきてよ」と言うと、その学生はリゾート地のアルバイトの解放感やらスリルを楽しむかのようで部屋の窓から嬉々として取ってくる。「足りなくなったら、また取ってきます!」だって^^

年が明けた1月は連日盛況で、スキー客は館内を賑やかに闊歩していたよ。親しくなった宿泊客の人が午後に帰るときは、リフトの一日券を貰ったので休憩時間にスキー三昧🎵🤣...そのうち東京から友達がやって来たので(実は呼びまくっていた)、支配人の許可を得て宿泊代の割引きや料理のサービス、仕事が終わると友達の部屋にお邪魔して久々の再会で盛り上がりホームシックなど...とっくに消え失せたよ^^

2月になると、宿泊客の予約がない日には朝起きたらすぐに檜の大浴場で『一番風呂!』、アルバイト学生は泣いて喜んでいたねえ😂 また、施設の清掃や諸々の雑用をしてくれる地元の年配の男性が実家に帰る時に招かれて奥様の手料理をご馳走してくれた。そのときの出された漬物がコレ・・・

おみ漬け

山形名物の「おみ漬け」...

この漬物、美味しかったなあ^^気に入ったので、出入りしていた業者さんから業務用の大きなパックに入ったおすすめの「おみ漬け」を買って実家に送ったよ。

シーズンが終わって東京に帰ると、暫く蔵王のホームシックにかかっていたよ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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