寅さん!

寅さん前に..夢であいましょう 。〇

浅草時代

 
渥美清が在籍していた浅草フランス。開業は1951年。
1953年、渥美はストリップ界の名門と言われていた「浅草フランス座」に引き抜かれる。
コメディアンの谷幹一、関敬六、八波むと志、佐山俊二、南利明らと出会う。

1954年 結核療養のため入院(右肺を切除)

夢であいましょう/1961~1966年

テレビ草創期の1960年代、後に伝説となる音楽バラエティーが誕生する。
フランス座の文芸部で渥美さんのコントの台本を書いた井上ひさしの顔も見える。


このころのテレビはまだビデオ録画がなかったので、ぶっつけ本番で生放送で演技をこなせる芸人を数多く必要としていた。この求めに応じて、舞台で場数を踏んだコメディアンが浅草の軽演劇世界などからテレビ界へと流れこんできた。

「花も嵐も寅次郎」に朝丘さんがゲスト出演。「渥美ちゃんが監督さんに話してくれたのかしら」・・

旧知の仲のふたりは、浅草のストリップ劇場やどぜう屋、お好み焼き屋に連れていってくれたらしい。登場時間は短いが、寅さんと丁々発止でやりあう場面はまさに自然体だ。

このシーンは江戸屋の娘、桃枝と寅さんが久々に再会、二人は、昔、訳ありだったことが匂わされる。

寅さん前の映画を3作品ピックアップ

棒給まで約束されている「軍隊こそ最高」と思っている”山庄”こと山田庄助、のちにテレビドラマ「泣いてたまるか」で時代に取り残された男の物語のルーツになる。

 

爆笑軍隊喜劇!
爆笑の後の深い哀切 ー
「男はつらいよ」と並ぶ代表作。~1963年~
無知で粗野だがひたむきな男を通して、戦争の愚かさを人間味あふれる喜劇で描く。

 


男はつらいよシリーズに2度登場した大原麗子さんも食堂車のウエイトレスを演じている。


 

『白昼堂々』1968年 野村芳太郎監督のちに国民的兄妹になるふたりが結婚❣
天才スリ師(渥美)と恋女房(倍賞)の
息の合った演技が光る痛快喜劇...

 

寅さんとさくらが大喧嘩!?(笑)

倍賞さんの倍返しのビンタ!!

本当にひっぱたいちゃってるんじやないの(笑)

テレビ『泣いてたまるか』 ~1966年~

渥美清主演で毎回違う役柄をやるというコンセプトではじまった。
後に有名になった俳優や女優が脇役として、そして映画監督と脚本家、作家が多数手がけていることが大きな功績であり、渥美清と山田洋次の関係が生まれ、『男はつらいよ』シリーズに繋がった。








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渥美清さんは天才的な話術の持ち主だった..

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